もうすぐ開花。
このあいだ河原へおりて行く道で
コジュケイの群れがばたばたと飛び去った。
命あふれる春。
でもこのうえなく気が塞ぐ春を迎えている。
東北を襲った天災に、
人智の小ささをつきつけられ、
それなのにまだ経済を優先させる異常な事態。
事故後から今に続く原発を維持させるための必死の情報隠蔽、
助かる命が助からない、まさに人災だ。
小さい子どもや若い人たちが放射腺量をチェックされているのを見ると辛くてたまらない。
汚染された牛乳やほうれん草、身体に取り入れたときの内部被曝の恐ろしさをどこのメディアも伝えない。
レントゲンは一瞬、でも体内に取り込まれた放射性物質は
ずっと体内で放射腺を出し続ける。
そんな子ども騙しがまかり通ることがたまらない。
辛く悲しい事態の中でも、
一人一人の優しさやたくましさ、助け合いが伝えられているのに
一方で、やはり戦後65年たっても、
この国の政府やメディアは一向に進歩していないようだ。
原発の事故がなければ
もっともっと津波の被災者に力を注げるのに。
悲しいけれど、
津波の被害からは立ち直れる山河はまだ残される。
でも原発の周囲は多分半永久的に汚染されて使うことはできないだろう。
無力感と、腹立たしさと、悲しさが、
いつもいつもこころの中に渦巻いている。
なにが出来るか。
起こってしまった悲しすぎる出来事、
でも、もう前を向いて進んで行かなくてはならない。
残された自分たちに出来ることは、
これ以上子どもたちにツケを残さない暮らしを選択すること。
風向きはどうか、
雨にあたらぬよう、
家を目張りして屋内避難、
洗濯物は干さないよう、
内部被曝しないように塗れタオルで口を覆って、
食べ物は汚染されていないか、
子どもたちと妊婦さんは特に注意して…
こういったことに神経質になって暮らすことが
原発と共存すること。
それよりも
ささいなことで悩んだり、
大声挙げて笑ったり、
子どもの成長を喜び乍ら生きて行く
当り前の暮らしを選びたい。
こんな事態になってもまだ
原発は必要だと声高に叫ぶ人たちがいることが信じられないのだけれど、
それもこれも教育の成果?なのかと思うと、
これからはそんな大人たちを蹴散らす子どもたちを育てたいと思う。
現地に行くこともできない私たちはただ祈るしかないというけれど
その他にもできること、
各地の原発は即停止すべき、と声を挙げ続けていきたいと思う。
どこでどんな災害が起こるか分らない。
これ以上の人災を増やさぬよう。
大きな悲しみの中でも
小さな喜びを見つけながら
桜が咲く頃には少しでも事態がよき方向に終息していますように。