2017年08月04日

山の葬式

(「田舎暮らしの本」宝島社 2004年6月号掲載)

山の葬式 まずは箸と団子から

 「箸は何本削るんじゃ? 団子の串は?」。隣のじぃちゃんが亡くなった晩、組内の男シたちが鉈を腰にぶら下げて集まってきた。いったい何が始まるんだ、と私は目をきょろきょろ・・・これが、村で経験した初めてのお葬式だった。

 ここでは、「組」いわゆる隣組の中で誰かが亡くなった場合、組内のものは内輪として葬式を手伝うことになっている。高齢化により、一昔前に比べればだいぶ簡略化されてはいるけれど、それでも組内のみんなが協力し手作りする部分がかなり多のは、町のそれとはだいぶ違う。

 先の「箸」というのは、出棺の時に棺を担ぐ、あるいは見送る人が弁当を食べる「箸」のことである。ご飯(米)を食べて精を付けておかないと、魂が死者に引っ張られるからだと聞いた。その昔、耕作地が少なく米より雑穀に主食を頼っていた山の民にとって、「米」の弁当というのは特別な意味があるらしい。

 竹林から竹を伐ってきて集まり、何十本もの箸を削る。これが組内の男シたちの最初の仕事だ。箸を削りながら、ここのじぃはああじゃった、こうじゃったと、思い出話に花が咲く。一方おなごシたちはその弁当(混ぜご飯)づくりと団子作りの算用だ。何人くらい参列するか、具のタケノコやワラビは誰が持ってくるか、米は何升準備するか。団子とは祭壇に供えるもので、白と緑の団子49個を男シが削った串に刺し、遺影の前に立てて飾る。死後49日のあいだ、団子一つずつが死者の1日の食事なのだそうだ。

 私も初めて団子作りに参加して、大きさが揃わず四苦八苦。
「あ〜、すみません」。
「ええんよ、誰もこんなこと慣れとらんのやけん」。
確かに、団子や箸のこと、葬式の手順は何かに書き記されているわけではなく、口承で伝わってきたもの。3回目の組内の葬式の時は、「えっと、団子は白と緑と赤やったかいな」と向かいのおばさんに私が聞かれたほどで、みなが曖昧なところで何となく了承している部分が多いのが実際のところ。もしここで私が「はい、そうですね」と答えたなら、ひょっとすると次の葬式から赤、白、緑の色鮮やかな団子が祭壇に供えられるかもしれない。確固たる形式があるようなないようなところが、格式張っていない山の葬式らしくていい。


通夜の晩 にわか「お経係」

 こんな感じで組内のシはあれこれと下働きするので、通夜も葬式当日も服装は普段着や作業服だ。黒装束でないので、「ええっと、これは何の寄り合いだったかな」と一瞬「葬式」という儀式を忘れてしまうほどだ。「死」というものが特別なことでなく、普段の生活の延長に位置づけられている感じがする。

 もちろんここには葬儀場などないので、亡くなった人の家で通夜と葬儀が行われる。箸を削り終えた男シたちと一緒に、連れ合いと私も通夜に参加。祭壇のある部屋に亡くなったじぃちゃんが布団の上に横たえられていた。手を伸ばせばすぐに触れることができる距離だ。葬式当日にはお坊さんを町から呼んでいるが、通夜の晩は自前のお経でじぃちゃんを囲むことになる。このときはお経を読める人材がおらず、誰かが持ってきたカセットテープレコーダーでお経のテープを掛けることになった。ところが、なにぶん高齢者ばかりで再生や巻き戻しの仕方がわからず、連れ合いがにわかお経係、というか音声係。「あれ、なんで僕かなー」と戸惑いながら高速巻き戻しをするが、なかなか相当のお経部分に到達せず、みんなの待つ中連れ合いは焦る。それでも誰も文句も言わず、談笑しながらじっと待っている。

 葬儀屋の流暢なアナウンスはないけれど、どことなくクラスのお別れ会的な温かさがあって、ああ、これならじぃちゃんもにこにこ笑ってみんなとお別れができるだろうなという雰囲気の中、通夜の晩はにぎやかに更けていく。


葬式・水道・道路 出役(でやく)の喜び 

 少し前まで土葬も行われていたそうで、今の四〇代でも土葬のための穴を掘った経験があるそうだ。今となっては、すべてが火葬。数十キロ離れた町の火葬場まで車で棺を運ぶ。山の葬式も様変わりしつつあるけれど、それでも近所同士の助け合いあっての行事であることは今も変わりない。

 「昔は、家を建てたり、用水路を直したりするときも必ずみんな集まったけんど、今ぁ葬式の他はそんなことも減ってしもたなぁ」と七〇代以上のじぃたちは寂しそうだ。とは言え、他にも谷から水を引く水道の管理、山道が崩れたときの修復作業など、時代が変わったとはいえ今でも残されている自主的な共同作業がある。こういう作業をこのあたりでは「出役(でやく)」と呼ぶ。

 どこの田舎にも「出役」に相当する作業がある。それがときには移住者にとって煩わしい存在にもなるようだ。でもよくよく考えると、それらの作業は田舎に暮らしていく上で自分も受ける恩恵につながるし、移住者にとっては地元の人と親密になれる絶好の機会だし、何より代々受け継がれてきた先人の知恵を学ぶことができる。形式ばかりが残されて現実にはそぐわない場合もあるかもしれないが、ここ山の暮らしに関しては、ほとんどが必要最低限の共同作業、それらすべてが無駄なく理にかなっている。

 私たちはここに来てからずっと「出役」となれば喜び勇んで参加し、組内の葬式も3回経験した。町育ちの自分たちはあまりにも非力で、実はほとんど役に立っていないのだが、例えば葬式の準備を一緒にしながら亡くなった人の歴史を聞くにつけ、過酷な山暮らしのなか山を、川を、人との繋がりを守ってきた山人の壮大なドラマがあったことに感動する。今、自分たちが満喫している山の風景や水、空気・・・すべてのものはこの人たちが自然との関わりや闘いの中でつくってきてくれたものだと改めて感じるのだ。

 出棺の際じぃちゃんは、町に出て暮らしている親族と、ともに支えあって生きてきた山人たちに囲まれ家を出た。おりがみを小さく刻んだ花吹雪が、竹でつくったくす玉から棺にひらひらと散りばめらると、私の眼は涙でいっぱいになった。

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posted by pon at 07:03| Comment(0) | 日記
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