2017年08月05日

「敵はサルもの」 

(「田舎暮らしの本」宝島社 2004年10月号掲載)

敵はサルもの

「ありゃぁ、ボスは大学出じゃな。かなり賢いわ」
ばぁたちが町へ買い物へいくために、よそ行きの服に着替えて出かけると、必ず畑が荒らされる。留守を見計らい、一気に大勢で畑に押し寄せて、食べ頃の野菜を総ざらえするー山のサルたちの仕業だ。きゅうり、人参、イモ類、豆類、大根、トウモロコシ、スイカ、柿、スモモ、キウイなどなど。タマネギと唐辛子以外はすべてサルの好物のようだ。
「去年はサツマイモはほとんど全部掘られてしもたし、カボチャも半分はやられてしもた。今年も、どんだけ人の口にはいるやら・・・」アキねぇは苦笑いしながらため息をつく。

 サルの被害は年々ひどくなってきている。村では畑のあちこちに趣向を凝らした案山子が立てられるようになり、さながらサファリパークのごとく、ぐるりとネットが張り巡らされるようになった。でもそんな努力も、それほど成果はないらしい。それらの案山子があまりに人間ぽいので、私は見る度にドキッとさせられているのだが、サルは簡単に見破ってしまうようだ。また、いくらネットで防除柵を作っても、サルは力もあるし指先も器用に使えるので、くぐったり破ったりと人間ワザなどやすやすとかいくぐってしまう。

 昔から「サルは赤いモノを怖がる」とも言われているようで、タケねぇは昨秋、食べ頃に近い柿の木のてっぺんに、赤い毛布をかぶせてみたそうだ。ところが、「見てみたら、おっきよい(大きい)サルが、その毛布の上にどしんと座って、旨そうに柿をもいでは食べ、もいでは食べ、しよったわだ。近所のシ(人)に、おまんく(お前の家)では、サルに赤い座布団も用意しとるんか、って笑われたわ」。柿を食べているサルを一喝しても、サルの方は「邪魔するな」と言わんばかりに、歯を剥き出しにして「キィーッ」と向かってくる始末。どうも、今のところ何をしても効果はないらしい。


サルにはサルの事情があり

 「昔はこんなことなかった」と、じぃやばぁたち。サルが急激に増えたのだろうかーいや、どうもそうではないらしい。

 確かにサルは保護動物となって、シカやイノシシのように猟で撃たれることはない。でも、近頃は庭先でシカが見られるように、山の獣たちがどんどん人里におりてきている。

「こんな山奥の村じゃけんど、わしらが若いときは、シカもサルもこんな家の近くでは見たことなかったわだ。山が杉ばかりになってしもたけん、実のなる木がのうなって(無くなって)、山に食べもんがないんじゃろうのぅ」。じぃやばぁたちが子どもの頃、大人は山でヒエやアワを作り、子どものおやつといえばアケビだ、山グリだと、山の木の実をたくさん採ってきて食べたという。それほど遠くない昔、山は多種多様の生き物たちを十分養っていけるだけ豊かだった。だから、サルもシカもイノシシも、人間とは全く生活圏の違う奥山でのみ暮らしていけたのだ。

 戦後、都市部の需要を見込んだ当時の政策とはいえ、自分たちの手で広葉樹を伐採して杉を植えてしまったことが、じぃやばぁたちにとって悔やまれてならない。だからだろうか、サルにあれほど畑を荒らされても、シカに芽が出たばかりの落花生を、ハクビシンにトウキビを、イノシシには里芋をさんざん喰い尽くされても、腹は立てども、全くの対決姿勢ではないように感じる。

 度重なる畑の被害にサルの駆除の日が設けられ、その時のみサルも撃つことができるそうだが、「サルはどうもヒトに似とるけん、わしら、よう撃てんわ」と「追い山シ」(猟をする人)のじぃたち。生き物への「愛情」とか「愛護」とか、そういう言葉では表現できない、山に生かされてきた同じ立場としての獣たちとの関係性は、私たちには到底理解できないものなのかもしれない。高度経済成長期、私たちもまたその恩恵を受けているはずなのだけれど。


サルの受けた「被害」

 とは言っても、これからサルたちのためにせっせと野菜を作るわけにもいかないわけで、ばぁたちの自給用の畑は、生き甲斐でもあり大切な食糧庫でもある。去年もサツマイモをほとんど捕られて、毎年作っていた「茹で干し」(干しイモ)を作ることができなかったアキねぇの寂しそうな顔が目に浮かぶ。「孫が遊びに来たら食べさせてやろうと思って、毎年どっさり作っとったのに」 。

 今年すでに、アキねぇの畑では、まだサツマイモなど到底ついていない6月に、8割方つるを引っこ抜かれてしまったらしい。サルも、作物が大きくなるのを待てないほど餌がないのか、それとも、サルや他の山の獣たちが受けた「被害」のしっぺ返しをしているのか。

 去年の全国各地でのクマ騒動もしかり、「鳥獣被害」とは言うものの、人間の手によって最初に被害を受けたのは当の獣たちだ。そのつけが今、たまたま目に見える形で人間に及んでいる。「野生動物との共存」と口では簡単に言えるけれど、餌になるドングリをばらまくことだけでは問題は本質的に解決しない。人間と野生動物が棲み分けができていた頃の山に戻していくことこそ、今真剣に取り組むべきことなんじゃないだろうか。

 我が家の畑も、今年は案山子を立てた。でもいかにも貧弱で、遠慮がちなまなざしの案山子なので、サルたちに「ごめんなさい」と謝っているように見える。これでサルたちが、人間のした悪さを許してくれるとは、到底思えないけれど・・・。
 
DSC03321.JPG
posted by pon at 09:37| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。