2017年08月05日

「飯盒と電磁調理器」

(「田舎暮らしの本」宝島社 連載 2004年12月号)

「もう、わしが戦争に行って来た証は、これ一つしか残っとらん」と、キク兄が古びた飯盒を出してきた。第二次世界大戦。キク兄は22歳の時、召集令状で四国連隊としてビルマに派兵され、最も厳しい戦況のなか生き延びて現地で終戦を迎えた。内地からの食料も生活物資も途絶えてからなお、ジャングルの中を1年あまり背走した話は聞くだけでもすさまじい。

 食べるものは現地で調達したわずかな米、時にはジャングルの植物や小動物。キク兄の話を聞いて、何とか同じ状況にいる自分をイメージしようとするのだが、想像することすら到底無理。まず雨期のジャングルで火を熾すことからできるはずもない。

 でも、いま私の目の前にある飯盒が、キク兄の命をつないだ道具なのだと思うと、資料館で見たりするそれとは違うリアリティーをもって「戦争」というものが迫ってくる。

 「まぁ、わしらは田舎モンじゃったけんど、ああいうところでは山での経験が役に立ったのう。野生のこんにゃく芋でこんにゃくも作ったし、毒蛇も捕まえて食べたもんじゃ。ハミ(マムシ)もそうじゃが、毒のある蛇はうまい。腹を下した仲間には、竹の黒焼きを煎じて飲ませたこともある。戦争も終盤頃はイギリス軍の攻撃から逃げて河を渡るんじゃが、竹を切って筏を組むにも、縦に割れんようにする切り方がある。縄も竹をうすく剥いで綯ってこっさえる。都会から来とったもんは、だいぶ苦労しとったのう。よう手伝うてやった」。砲弾で撃たれるより、病気や飢え、河を渡れず流されて亡くなる人が多かったというビルマ前線。キク兄がよくぞ生き延びて帰ってきたそのわけは、山人の知恵と忍耐力が大きな要因だったんだと改めて感じ入る。


「飯盒と隠居の家」


 敗戦後キク兄の持ち帰ったその飯盒は、後の山仕事でも活躍した。奥山で木を切り出したり、焼き畑をしてヒエやアワを作るため、何日も山に泊まり込むときに重宝したそうだ。「飯盒で炊く飯は格別うまいもんじゃった」

 戦争という、人が人を殺し合う「非日常」で使われた飯盒が、今度は生きるための「生産」の場で再び使われる。炊いたご飯の味もさぞかし違ったことだろうと感慨深い。

「山の仕事も無うなってからは使わんようになったけん、もう今はしまい込んであるけんど、まぁ、生きているうちは残しておこうと思う」

 使い込んで焼き切れたという飯盒の持ち手は、戦地で見つけた銅線で作り直され、丈夫に美しくリメイクされている。底の部分も薄くなってはいるが、まだまだ現役で使えそうだ。

 キク兄と運命をともにした飯盒を写真に撮らせてもらっていると、お連れ合いのウヂヲさんが汗を拭き拭き顔を出した。「こんなもんを見てくれるんは玄番さんくらいじゃ。けんど、ほんなに写真撮って、写真がもったいないわ、はははっ」 。

 この日はちょうど、町に住んでいた息子さん夫婦が定年を迎え、引っ越して戻ってくるというので、朝から所帯道具を隠居の家に運んでいたのだった。この辺りでは、隠居制度といって、息子か娘が結婚すると、母屋を譲り渡し同じ敷地内か近くにある隠居の家に移り住む慣習がある。

 その飯盒も、荷物を運び出しているときに何十年ぶりに表に出てきたというわけだ。


「次の世代に伝えるもの」


 キク兄は80年近くすんだ母屋を明け渡し、20年ほど空き家になっていた小さな隠居の家に昨日初めて泊まったという。それまで毎年薪を割り、毎日薪の風呂を焚いていたが、「もう年寄りじゃけん、火は危なかろう」と、隠居の家では電気温水器を取り付け、台所も電磁調理器に変えた。

 「今までと勝手が違うもんじゃけん、今朝、味噌汁炊こうと思うても、湯がなかなか沸かんのじゃ。おかしいと思ったら、どうやらアルミの鍋がいかんのじゃった」とウヂヲさん。キク兄は「確か、付属に専用のステンレスの鍋があったはずじゃ、ってばぁさんに言うても「知らん」って言い張る。「あった」「なかった」って言い合いしよったら、ばあさん、その鍋にトマト入れて冷蔵庫で冷やしとるんじゃ。はっはっはっ」

 火が扱えてこその山暮らし。山に生きてきたキク兄夫婦の暮らしから「火」が無くなってしまうのは、寂しく切ない気がする。でもその一方で、新しい生活環境に戸惑うキク兄夫婦の失敗談を聞きながら、私はなんだかウキウキしていた。それは、キク兄たちが「もう帰って来んじゃろ」とあきらめていた息子さん夫婦が村に帰ってくることが、切なさ以上に嬉しかったからだ。

 60年近く野菜を作ってきても「まだまだ毎年勉強じゃ」と笑うウヂヲさん。80歳を過ぎ、伝えるものは次世代に十分に伝えて、これからまた新たな勉強の始まりなのかもしれない。

 飯盒と電磁調理器。この半世紀、人々の暮らしの変化は未だかつて無いほど大きい。高度経済成長期以降に生まれた私は、便利さばかりを追い求める時代の河に流され溺れかけていた。でもこの村に来て、本当に大切なのは何か、何を残して何を子どもたちに伝えるべきかを考えるようになった。それは人と人のつながりであったり、山に、自然に、生かされているという感覚であったり、その中で暮らしていく知恵であったり・・・。でも、まだまだ山の暮らしは奥が深い。明日またどんな発見があり、どんなことに出会えるか毎日わくわくしている山暮らし八年目。私の勉強は始まったばかりだ。

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posted by pon at 19:34| Comment(0) | 連載
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