2017年08月08日

連載  笑う! 田舎暮らし   「スローな道具たち」

(コープ自然派Tableタブル 2007年 11月号)

 完全な自給自足的暮らしには到底及ばないけれど、あれこれ野菜や穀物を作って、ときには虫たちに、ときにはおサルたちにたいらげられながらも、自給率を上げる努力はしている。やっぱり主食は何とか作りたいなあと思うものの、山では耕作面積が少なく田んぼは難しいので、米は断念。畑でもできる大麦を少しばかり作っている。

 もちろん自家用で収量も知れているが、少ないながらも脱穀や籾すり、精麦など、一通りの行程は必要だ、ということに収穫してからハッと気づいた。実は、そういう作業の方が手間も暇もかかるのだ。機械を貸してもらうほどの量でも出来でもないので、はて、どうするか? 早速近所のじぃちゃんに相談に行くと、さすがは機械のない時代のプロフェッショナル。納屋から出してきたのは、おおっ、これぞ歴史の教科書に載っていた「千歯こき」!? 「こうやって使うんじゃ」と見本を示してくれる。なるほどやってみると、うまい具合に脱穀が出来る。面白いのであっという間に脱穀終了。

 さて次の段階、籾すりである。昔は家々の庭のすみに備え付けの手動式籾すり機があったらしいが、そればかりはどこにも残っていないということで、木の鎚でひたすら叩いて籾を麦からはずした。「よう、乾いとらんと、うまく籾がとれんぞ」という言いつけを守ってしっかりお日様に乾かしておいたので、これまた面白いほど効率がいい。

 そして次は、籾と実をより分ける「唐箕」登場。これまた、歴史の教科書で拝んでいただけなのに、今この手で実際に使ってみることができるなんて! 手でレバーを回して風を送り、軽い籾や芒は飛ばして、鮮やかに実だけを取り出せる。これは本当にすばらしい! 当時もよほど画期的で、仕事の能率を急速にアップさせたありがたい器械だったのだろう、唐箕はどこの家にも今も大切に保管されている。

 これで「玄米」ならぬ「玄麦」のできあがり。次はいよいよ精麦だ。水車で精麦していた以前に使われていたという「踏み臼」は、人がてこの原理で足で踏んで杵を上げ下げし、精麦する。トン・・・トン・・・トン・・・と、リズミカルに踏む音がなんとも心地よい。その昔はこの踏み臼で穀物を搗くことを「おいもん搗き」とも言い、おなごシたちが赤ん坊をせおいながらの大変な労働の一つだったらしい。今や私はジャージ姿で軽快に、軽い運動靴なんかでひょい、ひょい、と踏んでシェイプアップも期待しながら・・・。すっかり軽スポーツ感覚で、申し訳ない気持ちにもなる。今のように機械で精米すると、米に熱が加わって米の味が落ちるのだそうだ。その意味で、このスローな精米(麦)機はまさにゆっくりゆっくり、米や麦の温度も上がらず旨味が保たれるということになる。

 さて、ガソリンも電気も使わず、手間と暇だけをたっぷり使ってようやく食べられるようになった麦。これは究極のスローフードや、もったいなくて食べられん!? と浮かれる私を、にこにこ見ているじいちゃん。所詮私がやっていることは、じいちゃん達から見ればままごとみたいなものだけど、スローな道具のすばらしさと、それらを使ってきた時代の人々の知恵と工夫が時代を越えて受け継がれていくためには、時にままごとも必要か、と思うわけであります。
posted by pon at 07:07| Comment(0) | 日記
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