2017年08月09日

笑う! 田舎暮らし 連載 「畑de化学!?」

(コープ自然派Table タブル 2008年2月号)

 あれは忘れもしない、移住してすぐの秋。近所のばあちゃんが、剪定した柚子の樹の枝を集めて燃やし、その灰を大事に袋に詰めていた。何に使うのか聞いてみると、「ほうれん草を蒔くところに鋤き込むんじゃ。石灰をまいたりもするけんど土が堅うなるけん、灰がいちばんええ。種を蒔いた後は、シートで覆うんじゃ。このごろは雨が酸性やけん、雨にあたらんようにな。」

 私は高校時代化学が苦手だったけれど、目の前でばあちゃんがこんなインパクトのある化学の授業をしてくれていることに、驚きもし感動もした。ほうれん草は酸性に弱い。酸性の土を灰のアルカリ性で中和し、さらに酸性の雨を防ぐためにシートを掛ける。ばあちゃんたちは、野菜など作物を作る経験から、酸性雨のこと、環境の異変のことを何もかも肌で感じて知っているのだ。それに、学校の授業では石灰と灰の違いなど習うことはなかった。ばあちゃん、すげー! と思った。

 あれから10年経つけれど、そんな驚きはほんの一例。芋や椎茸はお日様に干したら甘くなり、竹は春に切ると虫が入って使い物にならない。木を山から切り出すために使うワイヤーは、複雑に滑車を組み合わせて、最小限の力で重い木を運ぶことが出来るようになっている。ばあちゃんは、くたくたに炊いたコンニャクイモに広葉樹の灰で作った灰汁を混ぜて、ぷりぷりのこんにゃく玉を作り、じいちゃんは、小屋を作るとき屋根の勾配のややこしい計算をものの数分で暗算し、炭焼きではどのくらいで空気を遮断すればいい炭になるかを知っている。

 こんな風に毎日、自然界の法則が入り込んでいて、否応なくその影響に左右される山の暮らしがある。私が赤点すれすれでひーひー苦しんでいた学校での化学が、物理が、数学が、当たり前に村の人々の了解事項となっていて、また目の前で人の手によって鮮やかに実験され、時には試行錯誤のすえ証明される。ただ学校と違うのは、その実験が目的ではなく、暮らしていくための「衣食住」が到達点だということだ。

 私もここでじいちゃんばあちゃんに密着して暮らしていたら、もっともっとおもしろく、身近に、化学や数学を学ぶことができただろうなあと思う。結局あんなに苦労して覚えた化学式が私の場合いま何一つ役に立っていないわけで・・・。もちろん細かく数値化し分析し、さらに内容を深めて未来を予測していくのが学問なのかもしれないけれど、自分が暮らしていく上で知らなければならない本当の勉強ってなんだったのかな、と。

 去年の12月、畑を貸して下さっているばあちゃんがエンドウの種を蒔いていた。「このごろは冬もぬくうなって、温暖化っちゅうんか。昔はエンドウは年明けくらいにまいとったけんど、ちょっと早い目にまいてみよう思うて。毎年畑の研究しよる。はっはっはー」とかわいく笑うばあちゃんは今年82歳。おそるべし、ばあちゃん科学者は今なお現役で研究し、未来も予測している!
posted by pon at 14:51| Comment(0) | 連載
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